【ぼくの書籍紹介文】ぼくらの 11巻

…ということで、「書籍紹介」のカテゴリを増やしてみました。


今流行りの「漫画アニメの批評専門サイト」みたいな、
「〜である。」だの、「〜でなければならない。」だのと、
決めつけのエラソーな文章は書けませんが、
私の駄文でよければ、参考にしてください。


栄えある第1回目の書籍紹介文は、
私が「表現神」と崇める鬼頭莫宏先生の、
「ぼくらの」最終巻です。

…最終巻ですねー……ついに最終巻ですねー……。


連載期間5年、鬼頭先生が漫画表現において掲げる
「死の教育」は、この「ぼくらの」においても、
壮絶な結末で描かれておりました。




「ぼくらの」は、15人の少年少女が、
巨大ロボット「Zearth(ジアース)」に乗って、
平行世界から現れる敵性ロボットとの戦いを繰り広げる、
近未来ドラマ


…と書くとSF作品っぽいですが、
この作品のメインとなるシーンは、メカアクションではありません。



「Zearth」のパイロットとして契約した人間は、
敵との戦闘に勝とうが負けようが、
必ず「死」を向かえます。


しかも、戦闘に負ければ、容赦無く
「自分の住む世界(我々が認識している世界)」が消滅し、
時間の流れの中に数あるとされる「平行世界」から、
その存在自体が失われます。


…この過酷な環境に投げ出されるのが、
「中学生(小学生も含まれる)」という、
多感な時期に生きていた少年少女たち。


そのそれぞれが「死に対する恐怖」や「生きる意味」、
「守りたい人」、「叶えたかった夢」を想いながら戦いに向かう姿を描くことで、
登場キャラクターを超え、読者自身が「今生きている意味」を
否応無しに認識させられる
ことが、
この「ぼくらの」という作品の表現力の高さを感じる部分です。


…そう、登場人物ひとりひとりの人間像や感情、人生観
極限まで描くテーマこそ、この「ぼくらの」の見どころと言えます。



最終巻で「Zearth」に乗り込むのは、
家族や義妹・カナだけでなく、周囲にまで冷たい態度を取ってきた
宇白順(ウシロ)。


同年代の数少ない「友達」や「家族」の死を、
最後まで目の当たりにしてきたウシロは…



えええええええええ……。


…すいません、私がこの場面を読んでいたのは
会社の一室だったのですが、思わず息を呑み、
しばらく次のページを読むことができませんでした。


…「そうだよな…」…と、妙に納得している自分と、
「もうたまんねえ…誰かウシロを許してやってくれ…」と
悲鳴を挙げる自分の感情に挟まれて、
必死で「自分の人生観」コントロールをしているときこそ、


「…ああ……私、今、鬼頭先生の作品、読んでるわ……」


って、しみじみと感じます。



……だってそうでしょう?
みなさんにだって、あったハズです。


中学生のころ、些細なことから周囲に理不尽な仕打ちを受けたり、
一生懸命頑張っていることを馬鹿にされたり、
「お前は他の人と違う」なんて言われたことがあったら、


「こんな世の中、壊してやる」
「学校のヤツら、みんな殺してやる」


…なんて、思いませんでしたか?


まあ、そこまで大袈裟じゃなくても、
「じゃあ、自分って何なんだよ?
他の人とおんなじように生きなきゃいけないのかよ?」

って思ったことくらい、あるでしょう?



…そんな多感な時期の少年が、家族の死に触れ、
自分のこれまでの行いを省みるタイミングを与えられたら…


そして、自分が心のどこかで苦痛に感じていた行為を
他人に対して行わなければいけない瞬間が訪れたら…



さらに、それが、自らの「死」の直前だとしたら…



貴方は耐えられますか?



これ以上はネタバレになってしまうので、
「どんな状況で」、「どんな感情を持って」、
ウシロがこの結論に至ったのかは、
実際に作品を読んでください。


もちろん、ハンカチ(or すぐ嘔吐できる環境)、必須です。



ちなみに、最終巻の初版分には、
限定で「おまけ小冊子」がついていますが、
コチラは、作品の主題とは全く関係無く、
各キャラクターの「ありえねーシチュエーションでのコメディ」が
満載で描かれています。




…あー、久しぶりに紹介文書きました。
リハビリになるなあ……。


恥ずかしながら、今回は文構&文校をあんまりしてないので、
おかしな部分やわかりづらい部分がございましたら、
何なりとご指摘ください…。


では〜。